昭和41年06月07日 夜の御理解



 佐田さんのお母さんでした二、三日前ある事をお願いにみえておった。ある事と言うのがお爺さんの事です。自分のご主人の事ですね。所が早速帰らせて頂いたら、そのおかげの働きと言うものが始まっていた、というのはそのお爺さんがその日電話料を持って、あの郵便局に郵便局電話局ですか、支払いにお出でられた。そしてそのすぐ後から、米屋さん櫛原かどっかの米屋さんから電話がかかってきてから、お宅には電話料を納めて行きよりなさった方が、お金を落としてありませんかと言うて、電話が掛って来た。
 はぁ確かにお爺ちゃんが、電話料を納めに行きなさったけれども、と言うたところが、ほんなら自分方で拾っているから、貰いに来いようにと言う事であった。お爺さんはまだ落としておるということを気付かないものだから、今あのあそこの本家であるさんの佐田与さんのところに、あの今恭三さんですね、あの久留米から参ったきます人が、勤めておりますから、お父さんあそこへ寄られたらしい。
 それでその恭三さんに、早速その事を連絡とっておったもんですから、あのあんたは電話料納めにいきよるが、電話料持っておるのち言うて聞いたら、そうたい納めいきよるち言う事が入ったらもう、びっくりしてですね。今電話かかってきてから、櫛原のどこどこに、あの拾ってあるち言う事だから、すぐ貰いに行ってくれんの。それで大変喜んで、それがお願いされたことのおかげを頂くきっかけになった。ね。もう本当に恐ろしかごたるといって、帰って恵美子さんとお母さんと二人で、その話してですね。
 早うお礼にでらにゃ、早うお礼にでらにゃと言いながら、そん時までそげん言いよるけれども、本当に実感にそう思うとるとは、間違いないだろうけれども、それを動かすところまで行ってないですね。早うお礼にでん出らんなんと言うところに。ところがです。その翌日恵美子さんですたいね、いつも参ってくる。恭三さんの奥さん、お婆ちゃんの方じゃない。あのマリエに買い物に行ったそうです。そしたらまたもう暫くしましたらもう、真っ青になって帰ってきましたですもん。
 もうお婆ちゃんもう、大事の出来たち言うてから。そるきんどうしたのち言うて、顔色もなかばいち言うてから言うたら、それがあぁた、ほんなちょいとの間買い物しよる間に、その財布をすられた。もうお母さん私は、取られたち言う事よりもですね。神様の働きに実は真っ青になったとですばいち言うて、お金はそのまぁ千円足らずじゃったそうですね。そげん青なるほどのこっじゃないけれども。神様の働きに青なったち言うて帰ってきたそうです。ね。本当にこの神様の、例えばおかげっと言うものはですね。
 だからおかげと実感したら、そのおかげと言うことがその実感がする、例えばお礼になって現れてくるという意味なんですかね。もう本当に恐れ入ってしまいますち言うて、今日早速お母さんがお礼に出てきてあるとです。先ほど先ほどじゃない、あの今日建郎さんの兄さんですね、あの末永さんから、本部行っとります。手紙が来てる。その書き出しに、こういう事が書いてある。
 「拝啓、おかげを頂きまして有難うございます。難儀な問題と神様の教えが触れ合い、火花を散らしている様な明るさは、椛目以外に私は接した事がありません」とこう書いてある。神様の教えが、その難儀な問題と、神様の教えが触れ合い火花を散らす。素晴らしいこれは表現だと思うですね。椛目にはそんなものを確かに感じますね。これは例えば難儀だけではありません。喜びでもそうです。ほんなら皆さんが喜びをいっぱい持ってくれば、カチッとこう打てば響くようなおかげを頂けるのです。ね。
 又は、お詫びさせて頂いても、お礼を申し上げても、お願いをさせて頂いても、そのことは神様のそれに通う時です。それこそあのお勇みなんかに、教えて下さる様にその、カチッとその響き渡るような、打てば響く神様と言うものを、椛目のお広前以外に見ることが出来なかったと、こう言うておられますです。ね。佐田さんのそれなんかもやっぱり、そうなんですよ。ね。もうそれはねそれはもう、本当にそらもう、私は言葉を知らないです、本当に。
 秋永先生がもうただ、この頃麻生さんが、昨日一昨日お見舞いに行った時に、あそこの神様はえらい神様じゃて、もう他に言い様が無いて言うそうです。だから今度今この寝ながらども申し上げちゃ、あの相すまんから俺が今度、おかげ頂くとは俺がどうぞ神様、うちのこの神様が、偉いという事を話して聞かせると言われましたち言うてから言いよりりましたがですね。もう本当に本当に偉い神様と言うより他に言葉が無いのですよ。偉いというのはどういう意味合いにおいてでも偉い。ね。
 もういわゆる、ただ恐れ入るより他に無いという神様ですね。ですからそういう神様を、お互いが縁を頂いて、そういう神様を、いわば椛目のお広前では、私を皆さんを始めとして、現し申し上げておるのでございますから、ね。それがほんなら、銘々の上にもそのような、そのおかげがです、ね。頂かせて頂けれるおかげを頂いて、日々こういう神様の、間違いのない働きの中にあるという事を、もっともっと実感的にです。
 いわばそれが、実感が本当に、この神様ちゃ恐ろしかごたるですね、なぁおばちゃんと言うて、お話をそのいうなら、お爺ちゃんのある事をお願いしとったわけです。ほら見てご覧なさい、お爺ちゃんが罰かぶってから、もうびっくりするごたることの起こっとるでしょうがち言う様な、願いじゃったんですよ大体は。ね。ですからそれで、そのそれならそのようにです、ね。その実感がです。本当に形に現される。お参りに奉仕に、ね。御用にそれが現されるだけの、私は神様を頂かなければ、ね。
 今こそ椛目にそういう神様を頂かなければ何時頂くか。いやまたどこで頂くかと言う様な気がするんですよね。確かにこの神様は、打てば響くような、ね。それこそ難儀だけではない、末永さんが表現しとりますように、難儀と神様の教えとが触れ合って火花を散らすような、私はおかげをです、いただかなならん。ためにはお互いの信心がね、もっともっと生き生きしてこなければ駄目だと思うですね。
   どうぞ。